日本の伝統衣装である「きもの(kimono)」は、
安土桃山時代(16世紀後半)に花開いた 
「小袖(kosode)」を原点としています。

ただ、実際にどういう物であったかは、
案外知られていないのでないでしょうか?


それどころか、普遍的に伝統という名の下に引き継がれ
現在の「きもの」と寸法・生地・着方などは、
伝統的に変わらないものあったと思っている方が、
多いかもしれません。

実を言うと、私もその一人でありました。


すでに日常の生活から離れてしまった
現代の「きもの」に疑問を持ち始めた私は、
発想の転換をする意味で、
そのルーツである「小袖」に着目し、まず歴史を調べる事を始めました。



KOSODEの魂
小袖絵巻 制作中

博物館に収蔵されている小袖 (特に女性もの)は、
実際に着ているのもあり、その時代に応じた仕立てかえを繰り返しているので、
「小袖」が当時の寸法のまま現存している物が、
極めて少ない事が、わかりました。
ましてや、庶民の小袖は 着倒しているので、残っているハズもありません。

また、その着方を知る手がかりとしては、
当時の絵画資料に頼るしかありません。

       
 慶長・1600年前後  元和・1620年前後  寛永・1640年年前後  寛文・1660年前後

初期小袖の変遷

調べてみて、まず、驚いたのが、
当時の小袖は現在のきものより、
相当巾広くできていた事です。


そして
その大風呂敷のような小袖を実に ゆったり着ていて、
帯は腰骨の上で絞められ、体は解放されています。
衣に流れるようなドレープができて、柔らかな動きがあります。

これを見ると、
きものは「腰で着て」
そして「空気をまとう」

が、本質であるというのが、わかります。



敷物に坐す婦人 江戸初期

それは、夏は高温多湿、冬は寒いという
四季に富んだ日本の気候風土と密接に関係があります。
夏に肌と衣服とを離して風を通し、
冬には空気の層を作って防寒するという仕組みは、
まさに自然の理にかなっているのです。

「着物はキチンと着るべきもの」

という常識は、実は大いなる錯覚で、
そこから派生した「お約束事」のほとんどは、戦後の「作り事」かもしれない・・。



出雲阿国 慶長・1600年前後

戦争は、多くの人やモノを焼きつきましただけでなく、
歴史を分断し、価値観をも変えてゆきました。

そして、
本来、底に流れていたはずのものが継承されず、
ポッカリできた空洞の中に、
さも正しい事のようにインプットされてしまったと言えるかもしれません。

わずか70年とはいえ、
一旦固まってしまった既成概念の呪縛を解く事は、容易な事ではありませんが

「きもの」の源流を振り返りたいと思います。


見返り美人 元禄・1700年前後


 
「陽光繧繝 勝部」では、西宮店舗時代より
オリジナルKOSODEを
オーダーで、製作・販売しております。



KOSODEは、
安土桃山時代から江戸初期の小袖
をたたき台にして
現代に生きるようにアレンジした

和服であり、着物です。
初期小袖の復元とは違います。


和服とは、和む服
着物とは、着る物


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