生きていた着物
Original dressing of KIMONO in JAPAN 


私が、今の着物の着方がどうもおかしいと
気づきはじめたのは、
父祖伝来の呉服屋を継いでから、10年以上もたってからのことでした。

それまでは、着物の着方は昔からずっと今と同じだったと
疑いもせずにそう思い込んでいました。

しかし、それは全くの事実誤認だったのです。
今から思うと、恥ずかしい限りだったと思います。

その間違いに気がつくきっかけは、
何げなく入った神戸の美術館からでした。

その日、その美術館では、
明治初期に来日した外国人が記録した映像に関する特別展を開催していました。

当時の最先端であった映像技術を獲得した欧米人は
珍しい極東の異国・日本の様々な習慣や風俗を記録していたのです。




その映像の中の日本人は、実に生き生きと動いていました。
私はこれを見て、ある種の驚きと感動を禁じ得ませんでした。

「着物を着て、どうして あんなに自由に動けるのか・・」



もちろん、その当時の日本人はみんな着物です。
また、
今じゃ便利な 全自動洗濯機・掃除機・炊飯器ジャー・電子レンジ・冷蔵庫など
文明の利器がどこの家にあるのは当たり前ですが
その時は何もありません。



着物を着て、土間のお釜でご飯を炊き
たらいで洗濯をして、風呂を沸かしていたのです。
そして、自らの着物は自前の糸を紡ぎ、そして織り、仕立ていました。



以上3点 明治初年 モース撮影

当然、家事といえども今と比較にならない程、重労働です。
着物を着て激しく動けないとお話になりません。

でも、今の着物の着方では、あんな動きは到底出来ない。
それは、まさに火を見るより明らかでした。

おかしい・・

私は、絶句しその着方、
そしてその動きををいつまでも凝視しました。

閉館になるギリギリまで・・
そこで、気付いた事。

映像の中の人々の着方は、現代の着物の着方と比して

その違いは、

@ 打ち合わせが緩い。

A 帯は腰に重点。

でした。

これは現代の着物の着方と明らかに違います。

こういう緩い着方をするのは
かつて、その筋の玄人(芸人含む)だけ・・・
と、言うのを聞いたことがありましたが、それは大きな間違いだったのです。

士族も町人も農夫もすべて同じような着方を
動いていたのです。

この錯覚は、多分にTVの影響があるのかもしれません。
黒地の掛衿に黄八丈の「時代劇 町娘スタイル」・・
TVでは打ち合わせを深く、帯も高くして着ています。

写真は、その違いを実証するものです。



時代劇では定番の町娘です。
いかに打ち合わせが甘く、帯の位置が低かったかが、わかると思います。



以上2点幕末 ペアト撮影

同じく子守をする町娘
帯の上に子どもを乗せて、
腰で支えているのがよくわかります。




江戸の芸者さんです。

当時のファッションリーダーこそが、彼女たちでありました。
帯をわざとクロスに締めて、帯締めも平行ではなく
微妙なバランスで締めています。
町娘と違い、おはしょりは、ありません。

大衆がそのセンスと美しさに惚れて、みんなマネをしたんですね。
しかし、この着方・・ほんとにいいですね・・・
着物雑誌のモデルと比べると 「生きてる」という実感が沸きますでしょ?




裕福な商家の母子の記念撮影です。
襦袢はしっかり打ち合わせでいますが、長着はゆっくり着てますね。
帯の位置はやはり腰です。



次に、正装した武家の家族です。
子どもにも帯刀し、袴を着せているのは、
町家と違うところです。
しかし、奥方は江戸褄(留袖)を着ていますが、帯はゆっくり締められ
位置はやはり腰です。



以上4点「写された幕末」 石黒敬七 (明石書店)より

次に、さらに身分の高い武士の写真を見てみましょう。
男性二人の出で立ちは、現在の感覚で見ても違和感はありませんが、
女性二人の着方は、今とは随分違います。
緩やかにまとって、そして帯の位置は腰にかかってます。


現在の「きもの」の常識からすると 「トンデモナイ」
になるかもしれませんが、

ゆっくり纏って、
腰で着る。


が、どの立場においても共通していました。

これこそが、
小袖発祥からの継承されてきた着物の魂
だと思います。 


写されていた証

KOSODE
home