クロス結び・考
着物ファッション検証



江戸・深川芸者
幕末




歴史を紐解くと、
いつの時代でもファッションリーダーは
決して身分の高い人たちではないことがわかります。

特に,歌舞伎役者などを含む芸能者といわれる人たちが
それをひっぱっていました。
女性の場合、芸者さんが、その大きな役割を果たしてきました。

今では、当たり前のお太鼓結びも考案したのも、
江戸深川の芸者さんです。

また 既婚者の第一礼装である黒留袖も
彼女たちのユニフォームだったのを庶民が真似をしたのが
始まりです。

逆にいうと、当時の芸者さんは、
単なる酒席の相手をするだけでありませんでした。
文化的な知識や素養だけでなく、
最先端のセンスも求められたのです。

左が江戸の深川芸者さん

いわゆる芸者の中でもトップクラスの人です。

腰に帯をすえて、はすかいに帯をしめています。
まさに江戸の粋を象徴するべきシャープな立ち姿です。

右は、九州長崎の丸山芸者さん
長崎は、江戸時代、海外と結ぶ唯一の玄関口であり、
さまざまな文化が混淆し
同時にその交易で栄えていました。

江戸の粋 京の雅とも違う独特な華やいだ文化があったのです。

写真の丸山芸者さんの着物や帯を見ても
その豪華さがうかがえます。

さらにその帯をよくみると唐織風の丸帯を三回巻きをしています。
それもクロスにずらして 抱え帯みたいなものを垂らしており
、実におしゃれです。

こういう結び方は、
一部では芸者結びといって
まるで 下賎なものがするように言う人もおられますが決して、
そうではありません。
上層階級階級の人にも,それは伝わっていきます。

下段・左に写真は、松平春嶽候の子女です。
春嶽は幕末には四賢侯と呼ばれ、龍馬とも交流があり、
黎明すぐれた大名として有名です。

その子女の写真はたくさん残っているのです
いずれも同じ着付けです。

まさに当時の上流階級における最正装の着物であり、
着付けです。

芸者さんほど極端ではありませんが
帯の下線の位置は腰であり、
斜めに結んであるのことがわかります。

右の写真は、御殿女中さん
いわゆる大奥に出仕していた女性と思われます。
これも最正装です。

上に乗せているのは絞りの帯揚げで帯の上辺は見えませんが、
おそらく、緩やかに斜めに締めていたと思います。

年代は少し違いますが、左の写真と、ほとんど着付けが同じです。
武家社会における一つの形があったことが伺えます。


しかし、この四者 立場や時代はそれぞれですが
すべてに共通していることがあります。

いずれも若い女性ということ。
というか、ウエストラインがある人と言っていいでしょう。
当時の日本には「ウエストを細く」という西洋から来た
ミスユニバース的価値観はないので
中年になると、ラインはなくなっていたと思われます。
でも、若い人には自然なウエストラインは
あったと思います。

次に、つい丈に着ていること。
そして、帯の 力点は腰において 
着物のは打ち合わせが甘いということです。


長崎・丸山芸者
幕末




 

華族・松平春嶽・子女
明治25年

 

御殿女中
幕末


   
 
拡大画像は,いずれも 江戸の芸者さんの帯結びです。
見事なまでに 帯を斜交い(クロス)に.締めています。

また.,右のは帯を上辺で折り返しています。
これは 包帯や腹帯の原理と同じで、さらにしっかりと締めることになります。



これは、家の構造と同じで、体の耐震補強になるはずです。

帯を片方の腰にひっかけて、斜交いに締めることは、
崩れなくて、なおかつ楽という理屈があったからだと思います。



画像の帯巾は3寸(約11cm)です。

もちろん、折り返したり 斜めに結ぶことは 機能性だけでなく
違う色柄出すというファッション的要素もあるでしょう。

ぞれぞれ百人百様の締め方があったわけですから。

ただ、時代と共に、目に見えた流行は変わっていきますが
一方でその奥には、変わらないものもあります。

着物は解放  帯は腰に固定

「腰」という字は 「にくずき」に「かなめ」と書きます。
これは、体にとっても もっとも重要なポイントが 
腰ということを示しているからではないでしょうか?

それこそ、まさに、日本人の中に、脈々と引き継がれてきた
着物の決して変わる事のない普遍的な要素ではないかと思います。


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