被ばく二世について

上の写真は、
東京在住のプロの写真家 吉田敬三氏が
わざわざこの山上まで来られて、撮影されたモノです。

吉田さんが、何故わざわざ遠路はるばる
私ごときの写真を撮りに来られたと言いますと
当サイトに掲載していた

ヒロシマの色を奪ったヒカリ

を たまたまご覧になり、私が被ばく二世というのが
わかったからです。

吉田さんは、被爆二世100人を撮影し
その肖像写真を一般公開する事を目標にされていました。

その動機は、吉田さんのHPに掲載されています。

私は厳密に言いますと被爆二世ではなく
被曝二世になります。

父は、原爆投下直後の広島に救援の為に入ったのですが
直接被爆したのではありません。
いわゆる入市被ばく者になります。

しかし、相当な放射能を浴びたのは、間違いないと思います。


 
残留放射線被ばくについて

国は、これまで原爆投下時には、爆心地から離れた場所にいたが
直後に爆心地い入った者
いわゆる入市被ばく者は、被ばく者として認定してきませんでした。


当時は、科学的な実証力がなかったのもありますが
様々な政治的な思惑もあったと言われてます。




広島 見過ごされた被爆 。 。 。


現在の被ばく認定基準
2015年現在

これによると、父は被ばく者となります。
ただ、もうこの世にはいません。



おそらく人が年間浴びても問題ない許容量を
(100ミリシーベルト以下)
はるかに超えていたのではないかと想像できます。

しかし、父も私たち家族も放射線に対して
無知というのもあったのですが
被ばく者という被害意識全くなく、晩年まで過ごしたのです。


ところが、父は75歳を過ぎてから
悪性リンパ腫(血液のがん)を発症しました。
もちろん、被ばくしてから50年以上も経過しているので
その因果関係はほとんどないと思われますが
結果的には
ヒロシマの「放射線被ばく」の事を考える契機になりました。

父は今まで、投下直後のヒロシマの事を
これまであまり多くは語らなかったのですが、
私にボツボツと話すようになったのです。

それをまとめたのが、サイトにあるものになります。
ある意味、父の遺言といってもいいかもしれません。

結局、それが縁で
この写真撮影となったわけです。



吉田敬三さん

しかし、撮影は1回だけではありませんでした。
なんと最終的には、3回も吉田さんは この山上まで
撮影に来られたのです。


なぜか?


それは写真の仕上がりが悪かったからです。
モデルがモデルなので仕上がりが悪いのは当然なのですが
「もうあれでいいですよ」と言っても吉田さんは、承知されませんでした。

さすが プロです。

3度目の正直が上の写真なのです。
ちななみに、下がボツになった1度目の写真です。
平成21年撮影なので、実に3年がかりの事でした。



吉田さんを見習うというわけではないですが、
私は、被ばく二世という負のアイデンティティをふまえ
「平和」と「環境」なども衣つくりの中で、問うてゆきたいと思います。

また、世の中には 化学物質・原発事故など
 さまざまな人類が引き起こした問題も抱えています。

人類は物を豊かにしましたが
その一方で、自分で自分の首を絞めるという
実に愚かな事をしてきました。

しかし、自然には、循環し元に戻そうという
人力を超えた圧倒的な力があります。

原爆投下後 灰燼と化し、死の町となった広島と長崎
50年は、草木も生えぬ言われていました。

しかし、想像を絶するすざまじい熱線と放射線を浴びながらも、
すぐさま新しい芽をつけて、再生 復活してきたのです。




町の復興は人の手によるものですが、
その基盤にあるのは、この自然の循環力・回帰力であると思います。




これまでも、人間がどんなに愚かな殺戮・環境破壊行為をしても
無言で回復活動をしてきたのが自然です。

自然には 人種・民族・宗教などの境界はありません。
ましてや国家の利益とは一切関わりなく
私たちに命を与えてくれている。

まさに、無償の愛。

もしかして、そこに、それらの問題を
すべて解決できる糸口があるかもしれないと
私は、信じています。



ただ、それには自ずと許容範囲があります。

もう、これ以上の愚行は繰り返してはなりません。
今は、そのギリギリの処に立っているかもしれません。

そして、自然と共に
この傷いた宇宙船・地球丸を共に再生する。

それが私たちに課されている気がします。

それには難しい政治談議は必要ありません。
普段のライフスタイルを一つ一つ見直す。

それしかないように思います。



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